花丸HANAMARU BoysLove Comic & Novel

花丸文庫/
花丸文庫BLACKのお知らせ

INFOMATION

2019.12.18

花丸文庫「わたしにください-十八と二十六の間に-」」 (樋口美沙緒:作 チッチー・チェーンソー:イラスト)発売!



花丸文庫「わたしにください-十八と二十六の間に-」

樋口美沙緒:作
チッチー・チェーンソー:イラスト

■あらすじ■

俺たちはまるで、違う生き物みたいだ―――。

傷つけ合いながらも、ようやく距離を縮めることができたはずの路と森尾だったけれど、
それぞれの恋情はこじれたままだった。
路への強い想いを自覚しながら、路を激しく傷つけた自分が許せず、再び想いを伝える資格がないと思い悩む森尾。
そんな森尾を追い詰めるかのように、後輩・臼井が路に近づき、「退け」と森尾に迫る。
始め方を間違った二人の想いはすれ違い、そして森尾が下した決断は―――。

「わたしにください」のその後、多感な高校時代を経て、大人になるまでを描いた続編登場!


■試し読み■

 森尾祐樹は、ある夢を見る。
 高校三年生。十八歳になったころから、それこそ三日おき、ひどいときには毎日のように、同じ夢を。
 夢の中で繰り返されるのは、セミの声だった。アブラゼミのうるさい鳴き声。
 汗ばんだ体で、森尾は誰かを組み敷いている。
 埃っぽい九月の教室には、太陽がさんさんと差しこんでいる。けれど、誰もいない。森尾ともう一人、崎田路以外は。
 ──やめて。森尾……やめて。
 嗚咽まじりの崎田の声を、森尾は無視していた。小さく細い体は、難なく押さえつけることができた。痛い、痛い、と訴える声も、森尾にはどうでもよかった。昂ぶった性器を突っこんだら、崎田の後ろは血に濡れた。ろくにほぐしてもやらなかったし、気持ちよくしてやろうとも思わなかった。森尾はただ痛めつけるためだけに、崎田を抱いた。
 かけていた眼鏡が床に飛び──森尾が飛ばしたのだが──幼げな、どこか少女めいた顔を歪めて崎田は泣きじゃくり、痛みに青ざめ、その細い足は何度も震えていた。
 けれどそれもすべてどうでもいい、と森尾は思っていた。
 どうでもよかった。崎田の痛みも、心も、どうでもよかった。
 自分の下にいる、崎田路という名前の、よく知らないクラスメイトが傷つこうが、苦しもうが、悲しもうがどうでもいい。もし明日、この男が自殺しても、俺には関係ない。
 そう思っていた。
 ……俺は、まともじゃない。
 夢の中で、森尾は自分のことをそう振り返る。
 心の中に、自分でも信じられないほど冷たい場所がある。
 あのとき崎田が死んでも構わなかった、恐ろしいほど残虐な心。あの残酷さは今でも自分の中にあるのだと──森尾はそう、思っていた。



  森尾 祐樹


    一


「森尾!」
 校門を出たところで後ろから呼び止められ、先を急いでいた森尾は振り向いた。九月の夕方とはいえ、残暑はまだまだ厳しい。あたりはムッとするような蒸し暑さで、うなじには玉の汗が浮かび、無造作に着た制服のシャツは湿って背に張りついていた。
「佐藤かよ、なに」
 駆け寄ってきたのは、元バスケ部の佐藤だった。今年の五月に引退するまで、森尾も同じ部に所属しており、佐藤はチームメイトだった。つい顔をしかめると、追いついた佐藤に苦笑される。
「お前ね、いくらなんでもその態度はねーだろ」
 相手の言葉をみなまで聞かず、森尾はさっさと歩き出す。横に並んだ佐藤が、きょろきょろとあたりを見回した。
「みっちゃんは? いつも一緒なのに、今日は一人で帰ってんの?」
「崎田は私大の模試があるから先に行ったんだよ。俺はこれから予備校」
 みっちゃん、と佐藤が呼ぶのは、崎田路のあだ名だ。
 なれなれしく呼びやがって、と内心思いながら、無愛想に応じる森尾に、佐藤が「ああ、だから急いでるわけね」と、訳知り顔に頷いた。
 知らず、ため息がこぼれる。まさか自分が、片想いの相手と少しでも一緒にいたいという理由で、早足になるとは。事情を知らない人間には、想像もつかないだろう。
 森尾は三年に進級してすぐ、片恋の相手、崎田路と同じ予備校に入った。
 だが崎田は私立文系のコース、森尾は国立理系のコース。教育学科を志望している崎田と、建築学科を希望している森尾とでは、強化科目が違うので四六時中一緒とはいかない。
 それでも、行き帰りはわりと一緒になれるし、余った時間を予備校の自習室で過ごすときは二人きりになれて、話すこともできる。
 森尾にはその時間さえ貴重なので、今日も崎田が模試を終えるまでには、なんとしても予備校に着いていたいのだった。うまくいけば、自習室で落ちあえる。
「お前ってもう、志望校は国立で確定?」
 佐藤に訊かれ、森尾は「たぶん」と曖昧に答えた。ごまかしているわけではなく、森尾には特別思い入れのある学校がない。
 高校は進学校なので、一年のときから受験のことは意識していた。三年も九月に入った今、生徒たちは志望校を定めている。
 崎田も、実家から通える距離の、そこそこ有名な私大を希望していた。
 森尾は上にいる二人の兄と父親の出身校というだけで、なんとなく国立大を選んでいたが、建築を勉強するのにここでなければとも思えず、まあ一応、くらいの気持ちだ。
「天下の国立相手に、余裕だな。さすが、成績優秀くんは違うよ」
 佐藤からはイヤミまじりに言われたが、森尾は黙っていた。
(余裕もなにも、受験なんか要領だろ)
 と、森尾は思っている。
 最新の模試では、志望大学はB判定だったが、何度かA判定も出している。このままやっていけば合格できるだろう。
 試験というのは持っている情報と時間を、どう使うかが要だ。
 テストを作る人間がなにを考えているのか分かっていれば、どんな問題が出るかはおのずと絞れる。
 模試や過去問に取り組むのは、そのピントのずれを補正し、少しずつ精度をあげていく試みのようで、森尾にはさほど苦痛ではない。機械的に考え、合理的に繰り返すのが受験勉強だ。
(……ズレてるんだろうな)
 おそらく多くの人間と自分は、少しだけ思考の回路が違っている。
 もっとも、つい最近崎田を好きになるまでは、人と自分の違いなど、考えたこともなかった。
 薄っぺらいテスト用紙の向こう側の、顔も知らない人間がなにを考えて問題を作るのかは分かるのに──身近にいて、誰よりも深く強く想っているたった一人の心の中のことは、なにひとつ分からない。
 ──お前は、ちょっと人とズレてんだから。
 それは今年の夏、九歳上の兄に言われた言葉だった。今でもつい思い出すのは、その自覚があるからだろうと、森尾は感じていた。
「でもよかったな、森尾。みっちゃんが地元の大学でさ。みっちゃんが地方に出てくってことになったら、お前のことだもん。追いかけたんじゃね」
 元バスケ部の同級生は、みんな森尾の片想いを知っている。いわく、「見てれば分かる」のだそうだ。
 崎田は二年の三学期から、三年の五月まで、バスケ部でマネージャーをしていた。誘ったのは、同じくバスケ部三年の黒田で、森尾にとっては腐れ縁の親友でもある。
 男子校の、それもバスケ部というむさ苦しい男所帯の中に、いきなり細く、小さく、少女めいた容姿の崎田がやってきたときは、部員はかなり色めきたった。なにしろ学内には寮住まいの人間もいて、「可愛い」には飢えている。
 崎田は二年生の二学期、陰湿ないじめにあっていたが、そのころにはそれもぱったりやんでいた。いじめがなくなったのは、崎田が変わったせいもある。
 以前までの崎田は、愛想がなく、誰とも話そうとせず、暗く、近寄りがたかった。
 分厚い眼鏡をかけ、いつも陰気な空気をまとっていた。
「そういえば訊いたか? 代々木にある予備校にさ、浦野がいたって話。うちの生徒が何人か補講の見学に行って、見かけたって」
「……聞いてない」
 佐藤が顔をしかめて言った言葉に、思わず森尾は歩みを止めた。
 浦野。その名前をはっきりと覚えている。二年のときの担任だった。ただし、それは九月までの話だ。
 浦野はとっくに学校を辞めさせられている。理由は崎田路を、強姦しようとしたからだ──。
 崎田へのいじめは、その事件を発端にして始まったのだ。教師と寝て、大学への有利な推薦枠をもらおうとしていたと、根も葉もない噂に尾ひれがついて広まり、そのうち一部の不良生徒の、性欲処理に使われるようにさえなった。
 それはやがて解決したが、崎田の負った傷は深かった。一時はひどく痩せ細り、常に青ざめていたし、成績もがくんと落ちた。けれどその一件から立ち直ったとき、崎田はまるで別人のように変わった。崎田は少しずつ自分を変えていった。
 クラスメイトに自分から声をかけ、なるべく笑顔で話すようになった。誰にでも親切に接しようと、努力しているのは傍目にも分かった。そういう小さな努力が実り、今の崎田は、一部の男子生徒のお気に入りだ。
 特にバスケ部の男子生徒からは、小さくて可愛らしいと手放しに愛されている。
(それにしても浦野……教師辞めさせられて、予備校の講師になってたのか)
 崎田が違う予備校でよかった、と森尾は安堵の息をついていた。
 浦野のことを考えるだけで、森尾の中には耐えがたい、嫌な気持ちが湧いてくる。それは嫉妬、憎悪、殺意──けれど一番近いのは、同族嫌悪だった。
「……まあみっちゃんが行くことはないだろうけどさ。一応、伝えとこうと思って。補講だけとか模試だけとか、申し込むことがありそうなら、事前にお前が止めてやってよ」
 浦野が崎田を強姦しようとした事件は、同級生ならみんな知っている。だから佐藤は心配してくれたのだろう。森尾は小さな声で「ああ」と頷いた。
「──なんつーか。浦野のことが、みっちゃんにとっては最初だもんな」
 ため息まじりに言う佐藤へ、森尾は言葉を返せなかった。いじめや、不良生徒たちによる輪姦……そのうちの一人は岸辺と言い、森尾が彼らとケンカをして、謹慎をくらったことはバスケ部には知れ渡っている。そして部員はなんとなく、言葉にはしないが、崎田が岸辺たちに犯されていたのだろう、ということを、感じている。暗黙の了解で。
 男子校独特の文化なのか、この学校が異常なのか、遊びで男と寝てみる、という生徒は意外に多い。森尾は女だけではなく男にもモテたので、粉をかけられれば適当に寝てきた。だからこそ、森尾が崎田に片想いをしていると知っても、元部員は、誰も不思議に思わない。
 ──崎田なら俺でもいけそう。
 という雰囲気がある。
 ──いろんな男に犯されていたと思うと、ちょっと抱いてみたくなる。
 誰も表だっては言わないが、心の奥で思っている。一度手がついているのなら、自分が手を出したって構わない。そんな侮りが、ひそやかに誰の心にもある。岸辺たちが崎田を犯したのも、浦野が既に手を出していると思いこんでいたからだと、森尾は思う。けれど本当のところ、浦野の強姦は未遂だった。
 誰も知らない事実が、一つだけある。
 崎田を犯した一番最初の人間は、浦野でも岸辺でもない。あの小さな体を暴き、奪ったのは、森尾だった。
「……みっちゃん、浦野のことがなきゃ、強姦とか、無縁だったかもしれないのに」
 そういう不運って引き寄せあうものだろ、と、独り言のように呟く佐藤の声が、森尾の胸に重たくのしかかってきた。
 ──もし俺がはじめに犯さなかったら。
 考えても仕方のないたらればが、頭をよぎった。
 もし森尾が崎田を抱かなかったら、崎田はその後も、誰にも犯されずにすんだかもしれない。
「あ、やべ。バスの時間来ちまう。俺走るわ」
 違う予備校に通っている佐藤は、腕時計を見ると、慌てて走りだした。おう、と無愛想に見送り、森尾はふと、立ち止まった。
 九月の夕景の中、まだセミの声が聞こえている。逆光で黒く沈んだ街並みのシルエットの中へ佐藤の影が消えていくと、セミの声はいっそう強まったように思えた。
 ──違う。最初の原因を作ったのは、俺なんだ。
 喉もとへこみあげてきた言葉を、森尾は飲みこんだ。
 ──俺が最初に、崎田を犯した。だから崎田は……俺を許してはくれても、好きになってはくれないんだよ。
 視線を落とすと、まだ熱いアスファルトの上に、セミの死骸が転がっていた。森尾はその死骸をスニーカーの爪先で蹴って退けようとして、やめた。
 虫けらを簡単に蹴ってしまう自分が、少し怖い気がした。
 しゃがみこみ、拾い上げるとセミはカラカラに乾いて、軽い。道の脇へ、森尾はその骸を避けてやった。